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アイネイチャーガイドのガイド者を紹介します。


Cycling tour Trekking Mountain climbing
 

相澤 篤 (あいざわ あつし/Aizawa Atsushi)
・アイ・ネイチャー・ガイド(AI Nature guide)主宰
・日本登攀クラブOB
・かながわ山岳ガイド協会会員
・日本山岳ガイド協会認定自然ガイド
・NPO法人東京どんぐり自然学校会員
・薬草ガーデンマスター(日本園芸協会認定)
・環境省自然公園指導員(委嘱)

・日本山岳ガイド協会危急時対応技術指導員

1964年より登山を開始し、1966年までは宮城県を中心、その後、谷川岳に活動を移す。
1971年より海外にも挑戦し、その後も、先鋭的登攀を標榜する日本登攀クラブの会員や多くの山仲間に恵まれ、四季を通じて国内岩壁にある主要登攀ルート(谷川岳、北岳、八ヶ岳、北アルプス穂高・剣等)を攀じ登る。
30歳代からは会社勤務(新薬開発業務に従事し、現在に至る)に注力のため、約20年間本格的登攀が休止状態となった。
しかしその間、妻や子の静かな応援を受けつつ、多数の山岳マラソン大会や100kmマラソン大会などに参加し、いずれも完走を果たした。例えば、71.5kmのコースに標高1000m以上のピークが幾つもある日本山岳耐久マラソン大会は、50歳代になっても上位1割の着順に入ることが多かった。
いずれにしても、最新で高度な技術、強い体力と意志が要求される困難なルートのガイドは、同行者に対しての責任を考えると、自分自身望むべきでないと思っている。その一方で、私は、これまでの経験や知識を多くの人々と共有したいとの想いが増し、意外に身近にある国内外の里山の広く大きな自然を楽しみ、逍遥の楽しみを伝えられるガイドを目指している。

*: アウトドアとインドアを橋渡しする健康支援を目的とした
「アイ・ナチュラル・ハート株式会社」を設立しました。
例えば、医薬品開発における臨床試験担当者研修、登山や自然観察のネイチャーガイドを実践しています。
http://inaturalheart.jp/


登山経歴
1964年 禿岳(宮城県・カムロダケ)を中心とした沢登り、積雪期登山を始める
1966年 岩手山(宮城県代表として全国高校インターハイ出場)
1967年 谷川岳東面の岩壁を中心とした本格的登攀(とうはん)開始(1968年・1969年夏季の2シーズンを谷川岳「肩の小屋」にて小屋番として従事)
1971年 無宗楽生会パンジャブヒマラヤ遠征に参加(登攀活動に加え、ライフワークとしての動植物を中心としたネイチャー観察に傾倒)
1971年
以降
◆インド・カシミールを中心としたヒマラヤトレッキング(その後、現在まで、アフガニスタン、ヨーロッパアルプス等を仕事の合間にトレッキング)
◆多数の山岳マラソン大会、ウルトラマラソンに参加し、好成績を継続
◆(1990年以降):国内の登攀ルートを離れ、カメラを片手に山岳マラソンの練習を兼ね、特に、中央線沿線の山々の四季を堪能
◆最近(2011年):アンデスの一人旅に出かけ、花やバードウォッチングを楽しみ、途中、5000m峰と6000m峰の氷雪登山を堪能
(帰国後、東日本大震災被災を目の当りにし、自らの非力さと、人々の優しさを体感しています。ガンバッペシ、東北。勇気をありがとう、全国の皆さん、そして、世界の人々。)
◆最近(2012年):勿論、東北を忘れずに、東北の山を登っています。ニュージーランド南島の山旅をし、自然との関わりを改めて勉強しました。
◆最近(2013年):ペルー・アンデス(アルパマヨ等を辿りました)。1970年アンカッシュ地震の際、ワスカランの大雪崩によってユンガイが消滅した痕跡は勿論なかったのですが、当地でも東日本大震災のことを気にかけていただきました。
◆最近(2014年):9月の第14回視覚障害者全国交流登山のイベント支援後、予定したハワイ島の4000m峰・MaunaKea等のハイキングを堪能しました。
最近(2015年):マウンテンバイク、トレッキング、高所登山を組み合わせた、太平洋(ペルー)からアマゾン川源流を巡る旅を行いました。幾つもの標高4600m以上のアンデス山中の峠を越え、概算900q、1ヶ月間限定の旅でした。旅の締め括りに、氷雪のトクヤラフ(6034m)頂上を踏み、旅を完結しました。